2013年1月31日木曜日

冬休みの診察結果


冬休みになり、再度大学病院に診察を受けに行きました。

どうか、整体に通った効果が現れていますようにと、祈る思いでした。

が、やはり結果は進行しているとのことでした。

もう、しょうがない
と、諦めが付きました。

秋の遠足で腰に負担がかかり、痛みが出てしまったことや、
レントゲンを撮るたびにCobb角が大きくなっていくこと、
外見も、背中がいびつになってしまい、背骨が曲がっていることがハッキリわかってしまうようになってきたことなど、
側弯症はジワジワとですが、確実に進行し、自覚されるようになっていました。

それまでは、なんとか手術無しで治せないかと試行錯誤の思いでしたが、
ここまで症状が目立ってきて、生活に支障が出てくると諦めがつきました。

もう手術しかない
と、娘と私も覚悟を決めました。

大学病院の先生に、きちんと
「手術をお願いしたいので、来年の夏休みに予約を入れて下さい。」
と、お願いしました。

これで、手術に向けてみんなが動き出すことになります。

決意するまでは、なんとか避ける方法を模索してきましたが、
決断してしまうと、
むしろ「これでキチンと治るだろう」とほっとする部分もありました。

もちろん、手術に対する恐怖や不安はまだまだ取れていませんでしたが。

手術をきちんとお願いした後、
手術の執刀は別の先生がなさるということで、
次の週に、もう一度大学病院の方で、
その執刀医の先生の診察を受けることになりました。



2013年1月29日火曜日

体への影響(中一2学期)

側弯症と診断されてから、1年半ほど、
痛みもなく、特にこれといって体に不調があったわけではなくここまで来ていましたが、
この頃(中一の2学期ごろ)から、少しずつ側弯症の進行に合わせて、
体へ影響らしきものが出てきました。

それまでも時々、腰が痛いということはあったのですが、
装具を付けているので、体が思うように曲がらないことの影響だろうと思っていました。

ですがこの頃ハッキリと、
これは、側弯症が進行しているからだ』と思い知るようなことが、起こってきました。

中1の秋に校外学習(遠足のようなもの)があり、
神戸の街を1日中歩いて回るということがありました。

結構な距離だったのではないかと思います。
それに、神戸の街は坂道が多いですから、それも負担の一つだったのかもしれません。

すると、夕方の集合の頃には
娘は腰が痛くて、もう歩けない状態にまでなってしまいました。

なんとか集合場所までは辿り着いたのですが、
帰る前の集合写真の撮影や、先生の反省会などへ参加することすらできず、
バスの中で一人、休まなくてはならなくなりました。

そして、歩けない娘の状態を見て、学校の先生が家へ連絡を下さり、
私が解散場所まで車で迎えに行きました。

本人もこんな状態になってしまって、ショックを受けているようでした。

『長い距離を歩くと、腰に負担がかかってしまう…』

今までは背骨が曲がっているといっても、
なんの症状もないまま無自覚できてしまった側弯症という病気を、
ジワジワと自覚せざるを得なくなってきました。

2013年1月27日日曜日

整体への最後の挑戦

夏休みの大学病院の受診以降、
もう一度だけ、整体での側弯症の改善に挑戦することにしたので、
新しい整体医院を探すことにしました。

そして、ネットで側弯症を改善とあるサイトをチェックし、
隣の県にあるカイロプラティックに通ってみることにしました。

ここはだいぶん、側弯症の改善に実績があるようですので、
これでダメならしょうがない』との覚悟で訪れました。

このカイロプラティックまでは車で45分ほどかかります。

毎週土曜日に父親の運転で、親子3人で通うことになりました。

大学病院での再度の受診は冬休みです。
その時には手術の具体的な確認に入るとのことでした。

その時までに出来るだけのことをして、
それでダメならもう手術の覚悟を決めようとの家族の思いでした。

このカイロプラティックは、1学期に通っていた整体よりは
痛みが少ないようでした。

ですので、娘の負担は少しはマシになったと思いますが、
毎週土曜日に往復1時間半の時間と、診察が30分
前後の時間を入れると3時間は取られてしまいます。

娘はもう諦めているのか、あまり積極的ではありませんでした。

親の方が、手術を避けようと必死でした。

まだ中学生でしたので、手術の大変さなど、ピンときていなかったのではないかと思っています。

結果、このカイロプラティックにも4ヶ月程通うことになります。




2013年1月25日金曜日

夏休みの診察結果

夏休みに大学病院で再び診察を受けるため、
大学病院に向かいました。

1学期の間、少しでも良くなるようにと、
整体医院にも通い、努力してきたつもりでしたが、
結果、側弯は進行していました

だいぶ、Cobb角が大きくなっていたのです。
この時点で、今資料が無いので定かではありませんが、
Cobb角は60°を越えていたと思います。

何をしても効果がなく、進行してしまうというのは
辛いものです。

どうしようかと、途方に暮れてしまいました。

お医者さんと話をして、やはり手術を視野に入れていこうということになりました。

手術の日程は、長期の入院(約1ヶ月)が必要なため、来年—中学2年の夏休みがいいだろうということになりました。

それまで出来ることは、引き続き
寝る時に装具を付ける。
体操をがんばる。

ということでした。

1学期の間の3ヶ月間、痛いのを娘にがまんさせて通っていた整体は無駄だったかと、落ち込みました。

でも、まだ諦めきれません。

まだ3ヶ月だという思いでした。

整体はそんなにすぐに効果が現れるものではないだろうし、もう少し続ければもしかしたら…
と考えました。

それで、とりあえず今まで通っていた整体は娘に合わなかったのかもしれない。
との結論になり、『新しい所を探してもう一度だけチャレンジしてみよう
と、父親と娘との3人で話し合いました。



2013年1月23日水曜日

大学病院受診以後の生活

装具について


大学病院での受診以後の生活についてですが、
大学病院の方で、装具の装着についての指導をされ、
これ以降、装具の装着は夜、寝るときだけになりました。

やはり、装具を1日中付けていると、筋力の方が弱ってしまうそうで、
筋力があまり弱くなると、背骨を真っ直ぐにささえることが一層難しくなる
ということだそうです。

昼間、装具をつけて生活しなくてもよくなったのは、良かったのですが、
中学校の方へも協力をお願いしたすぐ後でもありましたので、
少し申し訳ない気持ちになりました。

娘は、装具から昼間だけでも解放されたので、
喜んでおりました。

中学校生活


その他の生活についてですが、
学校でのクラブについては、
運動した方が良いとのお医者さんの話があったのですが、
本人がやはり運動部は嫌がりましたので、合唱部に入部しました。

気休めですが、
歌を唄うのも腹筋を使いますので、なにもしないよりはまだ少しはマシかという思いでした。

そして、登下校は徒歩20分ですので、
これも少しでも運動の足しになったかと思います。

教科書類は、学校の方に置いてもらい、
なるべく鞄を軽くして、歩いて通っていました。

スイミングスクールは一応籍を置いてはいましたが、
ほとんど通えていない状態でした。



この頃、病状が少し進行してしまったことで、
「手術しなくて済むように、頑張らないと…」と思う反面、
「何をやっても無駄なんじゃないか」という思いが出てきだして、
生活の上での努力をする気力が、あまり出ていなかったように思います。


2013年1月22日火曜日

お医者さんとの感情の相違

夏休みに予約してある、大学病院での2度目の診察までに、
手術を避けられるようにと、整体に通い続けていました。

それと平行して、
1年間通ってお世話になっていた、地元の整形外科の医院にも
定期的に通っていました。

およそ1ヶ月に1度くらい通い、経過観察とリハビリの先生による
筋力のチェックを受け続けていました。

筋力は体操を続けている甲斐無く、あまり上がりませんでした。

そして一応、主治医の先生には
大学病院で「手術を勧められた」との報告はしてありました。

主治医の先生は、
「装具の効果が見られない以上、手術は最善の策だと思う」
とおっしゃり、手術には賛成だとの意見でした。

大学病院の先生ももちろん、手術を勧められますし、地元の主治医の先生も同意見でありましたので、
手術をするのが、間違いの無い治療法だとは理解したのですが、
やはり手術に対する不安感や恐怖感があり、
なんとか避ける方法をと、いろいろとネットなどで探し続けていました。

ですが、この民間治療などを試してみているということは、
主治医の先生には言い出せませんでした。

ですので、
普通の医院での受診と平行して、整体にも通う
という生活を続けていました。

この間に思っていたことは、
病院の先生というのは“手術に対し、なんの疑問も持たれないのだ”ということ。

患者にとっては、背骨という大変な器官をいじることになるので、
もしもの時のことなど考えると、どうしても一歩踏み出せない思いが募ります。

ですが、あまり病院の先生にはそこの所を理解していただけないのか、
手術の何がいけない?という態度で、それはそうだと理解はできるのですが、
もう少し、患者の恐怖感や不安感を理解してくれないものか…と思いました。

それだけの自信と信念を持って治療されているのだ、ということは判るのですが、
ただただ、「手術を避けたい」との思いはどうしても消えません。

この部分が、あまり病院の先生には理解が得られませんでした。



2013年1月20日日曜日

治療法の模索

病院以外の治療法を探る


大学病院を受診して、
「手術の可能性も考えて」と言われた後、
どうしようか、と非常に悩みました。

背骨を手術するというのは、
たいへん恐ろしいことの様に思えました。

痛みも相当あるだろうし、もちろん手術後は動けないだろうし…
と、不安なことは次々と浮かんできます。

とにかく、少しでも可能性があるなら
手術しないですむようにしてやりたい。

と、ネットでいろいろと調べるようになりました。

そして、整体医院やカイロプラティックの存在を知りました。

ネットでの広告などを見ていると、
背骨の歪みを治す」や「脊柱側彎症に効果がある」という文字が溢れています。

今まで整体など、縁のないことだと思っていましたが、
少しでも希望があるなら…と、整体医院に通ってみることにしました。

とりあえず、自宅近くの整体医院を探して、訪ねてみました。

院長さんにお話を聞いた印象では、自信と信念を持って治療にあたっておられるようで、
信頼してみようと、とにかく通い続けることにしました。

治療は、背骨を外から直接に矯正していく方法で、
診察台に寝転び、背骨をぐりぐりと押していくのです。

だいぶん痛みがあるようで、娘はいやがりましたが、
「手術になったら、もっと痛いんだから」となだめすかして、
週に一度30分の治療に通い続けました。

効果があるかどうか、夏休みに再び大学病院を受診する時に、
少しでも良くなっていれば…と思っていました。

2013年1月19日土曜日

大学病院での診察

無事に中学校生活がスタートし、
ほっとしたものの、今度はいよいよ大学病院での診察の日が来ました。

この日は学校を休んで、朝から大学病院の方へと娘と出かけました。

大学病院までは自宅から車で1時間ほどかかります。

朝一番に大学病院に行き、
紹介状は整形外科の先生が書いてくださいましたので、それで手続きをしました。

そしてまず大学病院の整形外科の方で、
しばらくの順番待ちの後、
今までの病状の経過の報告と、診断当時の状況等を聞かれました。

そして、レントゲンの撮影をします。

レントゲン撮影の受付でまた手続きがあり、
着替えを済ませて、また順番を待ちます。

そして、レントゲン撮影が済めば、整形外科の方へ戻って
待合室でひたすら診察の順番を待ちました。

この間4〜5時間はかかりました。

本当に大学病院を受診するというのは大変だと、
診察前に疲れ果ててしまいました。

そして、いよいよ本番の診察です。

この大学病院で背骨の病気を専門に見ていらっしゃる先生で、
脊柱側弯症も何件も手術をされている先生だということでした。

その先生の診断によると、やはり相当進行しているので、
手術を考えていく方がいいということ。

このまま装具を付けていても、あまり改善されないだろうということでした。

この診察の時点で娘の側弯度(Cobb角)は最大の部分で57度になっていました。

私がすぐに返事できないでいると、
「とにかく、もう少し様子を見てみて、それから手術を考えましょう。」と言われ、
夏休みにもう一度診察の予定が入りました。

「やはりか…」と、ある程度覚悟はしていましたが、
手術はなんとか避けることはできないのか…と
思い悩むことになります。





中学校での生活

中学校での生活で一番の問題は、
大量の教科書で重くなってしまう鞄をどうするか…ということでした。

新学期が始まり入学式の後、
担任の先生と相談をして、教科書はほとんどの物を学校に置かせていただくことにしました。

家庭での学習には不便ですが、『毎日車で送り迎え』というのは無理ですし、娘も嫌がりましたので、
とりあえず、教科書は試験前以外は全部学校へ置いておいて、
試験前と夏休みや冬休みの前後だけは、私が車で取りに行きました。

家では2つ上の姉の教科書が残っていましたので、
それを使って宿題などは済ませることにしました。

担任の先生から、教科書を置いておくことに対して
クラスに説明をしてくださり、簡単に病気のことも説明していただきました。

クラスメートの理解があり、このことで文句が出ることもなく助かりました。

それから、装具の装着をまた、養護の先生に頼むことになりますので、
娘と保健室へ相談に行きました。

そして小学校と同じように、
体育の授業の前後の着替えは保健室でさせて欲しいということと、
装具を外した後の装着を養護の先生に手伝って欲しいということ、
あと、暑さにバテることがあると思うので、その時は休ませてやって欲しいということを相談しました。

小学校の時と同じように、養護の先生もたいへん親切に協力してくださり、
安心しました。

小学校の時も、中学校でもそうでしたが、
装具を付けていることを誰かにからかわれたりすることは
ありませんでした。

きちんと説明すれば、子供たちも理解してくれるんだと思いました。
このことに対しては、何も問題はなかったです。



中学校入学

脊柱側弯症と診断され、治療を始めてから1年が経ち、
装具治療の効果があまりみられなかったので、
大学病院を受診することになりましたが、
その前に中学校への入学という環境の変化がありました。

中学校へ入学する前、やはり環境が小学校の時とは変わってしまうことで、
非常に不安がありました。

まず、小学校より中学校の方が遠方にありましたので、
今までよりも、長い距離を登下校で歩かなければなりません。

小学校へは徒歩5分程でしたが、中学校は徒歩20分程の距離でした。

それと、教科書の量が増え、登下校時の鞄は大変な重量になります。

これが大層気がかりでした。

ただでさえ背骨が曲がっているところへ、重い鞄をかかえて往復40分歩くというのは
背骨に大変な負担をかけるのではないか、と。

入学前に整形外科の先生に相談したところ、
やはりあまりにも重い荷物は体の負担になるので、避けた方が良いとの返事でした。

装具も引き続き、24時間装着していますので、
体育の授業時の対応、鞄の荷物の件、その他学校での生活上の細々とした対応をお願いするため、
入学前に中学校の方へ相談の電話をかけ、新学年の学年主任の先生と話をさせてもらいました。

相談前は「こんなコトでうるさく学校に電話して、嫌がられるだろうな…」と考えてしまいました。

命に関わる病気ではありませんし、体調が悪くなる病気というわけでもないので、
どうしても、わがままに思われないか…と考えてしまいます。

とにかく、勇気を出して相談したのですが、
学校の方も理解してくださり、出来るだけの配慮を約束して下さいました。

本当にほっとしました。

その後、3年間の中学校生活の間、
学校の先生方にはいろいろな場面で本当にお世話になり、
娘ともども精神的にも大変支えていただきました。

ありがたかったです。



2013年1月17日木曜日

1年経過後

治療を開始してから、1年が経つころ、
小学校6年生の1月ごろでした。

いつも通っている整形外科で
またレントゲンを撮りました。

1年近く治療を続けてきて、
その成果をチェックしてみましょうということでした。

それで、レントゲンを撮った結果ですが、
残念ながら、改善していませんでした。

むしろ、身長が伸びたその分、弯曲が進行してしまったようです。

これは先生も悩まれたみたいです。

装具の装着治療の効果がなかったのです。

それで、一度大学病院の方を受診して欲しいと言われました。
「手術の可能性も考えて…」と言われました。

予約の方は整形外科の先生が取って下さり、
大学病院の診察は4月の上旬ということになりました。


これには、だいぶ落ち込みました。

装具を毎日きちんと装着しなかったのが悪かったか、
スイミングも中途半端だったし、
体操は毎日やったけれど、いい加減だったか、
と、反省が次々と浮かびます。

大学病院の診察がある4月までの間、
どうなってしまうのか、すぐに手術だと言われたらどうしようと
大げさですが、生きた心地がしませんでした。

別のお医者さんの診察

小学校6年生の間の1年間で別のお医者さんの診察を1度受けました。

診察に通い出して、2〜3ヶ月経ったころだと思いますが、
いつも診てもらっている整形外科の先生から、
その整形外科に1ヶ月に1度診察に来られている、大学病院の脊椎専門の先生に
一度診てもらって下さいと言われ、
その先生の診察日に整形外科に診察に行きました。

そして、その先生の意見を聞いたわけですが…

先生によると、装具を付けることによって
少しではあるが、背骨の角度は改善されているので、
とりあえず、引き続きこのまま、装具による治療を続けましょうとのことでした。

聞いていると、あまり劇的な改善はないような口調でした。

私たちは装具さえつけていれば、「いつかは真っ直ぐになる」くらいに思っていたのですが、
どうやら、そこまでの回復はなさそうだ……
と思いました。

痛みがあるわけではない…
外から見てもあまり目立たない…
生活に制約があるわけではない…

ということで、やはりどこか、病気を甘く見てしまいがちでしたが、
新しく診察を受けると、その希望が陰り不安ばかりがつのります。

ここで、なんとか踏み留まらないと、手術をすることになってしまう…

とにかく、装具をきちんと付け、体操を毎日し、スイミングなどで筋肉をつける…
ということをがんばるだけでした。



治療1年目の生活(2)

診察


治療1年目、小学校6年生の間の診察状況としては、
定期的に整形外科に通っていました。

医院では、まず先生の診察。
これは経過観察です。

生活の上で気づいたことなどがあれば、
質問したりしていましたが(体育の授業での注意点など)、
1年目は特に身体的な症状があったわけではないので、
いつも
「特になにも変わりありません。」
「普通に生活して大丈夫です。」となっていました。

あと装具の装着具合もチェックしていただいていました。

やはりまだまだ成長期ですので、
身長も少しではありますが、伸びました。

それに伴って装具の方が合わなくなってきます。

付けていても、体にあたる部分があったりして痛みが出てくることもありました。

それで、業者の方にもチェックしていただき、
少しずつ手直しをしていただきました。

体操指導


診察に医院に行くと、
必ずリハビリの先生にも見てもらって、
筋肉の状態や、体の運動能力などをチェックしてもらいました。

毎日、24時間装具を付けての生活ですので、
どうしても筋肉が弱ってくるそうです。

それをなるべく予防するための、毎日の体操でもあるのですが、
その体操の効果がキチンと出ているかの
チェックをしてもらいました。

毎日キチンと体操は続けていたのですが、
いつも娘は筋肉が弱いと言われました。

あと、足を上げる動きが小さいので歩いているときなど、
つまづきやすいから気をつけるように、との注意をいつも受けました。



だいたい、月に1度の割合で通っていました。




2013年1月16日水曜日

治療1年目の生活

治療1年目:生活

小学校6年生の間の1年間は
特にこれといって、目新しい治療を始めるわけでなく、
毎日、装具を付ける体操をするスイミングスクールに通う

ということだけを繰り返していました。

ですが、その1つ1つをキチンと出来ていたとはいえません。

装具を付ける


最初、整形外科の先生が「毎日キチンとつけるのはたいへん」とおっしゃった通り、
どうしても「今日はしんどいからちょっと外しておこう」と休みの日を勝手に作ってしまいました。

とりあえず、学校へは装具を付けて通っていましたが、
体育の授業の後など、装具を外したまま再度装着することなく、持って帰ってきたり、
寝るときも体調が悪いと、「今日は付けずに寝よう」ということになる日があったりと、
なかなかキチンと装着させるということは難しかったです。

親が心を鬼にして、言い聞かせないといけないとはわかっているのですが、
どうしても「かわいそうだから、今日くらい」と、甘やかしてしまいました。

体操をする


これはなんとか毎日続けていました。
小学校6年生の時は、まだ一緒に寝ていましたので、
寝る前に二人で布団の上で体操をしました。

体操をするのは娘だけでいいのですが、
私も一緒に、美容体操のつもりで体操をしていました。
これは唯一毎日キチンと出来たことかもしれません。

スイミングスクール


スイミングスクールは、キチンと通えたとはいえません。

体調により通えない日があったり、かぜ気味だったりで、休みがちでした。

親の方は、キチンと通わせないと…と焦るのですが、
なにせ、娘のやる気がなかったです。
これも心を鬼にするべきでしたが、なにかにつけて甘やかしてしまったと反省です。



こんな感じで1年間が過ぎました。


スイミングスクールに通う



スイミングを始める


治療を初めて、
毎日装具を付けて、体操をするということのほかに、
運動をなるべくするように…という指示がありましたので、
娘に水泳をさせることにしました。

装具を付ける生活が始まると、
さっそく近所のスイミングスクールに入会させました。

このスイミングスクールは、
小学校に入ったばかりのころに娘が通っていたスクールだったので、
娘も慣れていましたし、親もだいたいの様子はわかっていましたので
その点は安心だったのですが、
困ったことに娘は運動が嫌いでした。

もともとスイミングスクールをやめたのも
ひととおりの泳ぎが出来るようになったからでしたが、
それ以上続ける本人の意欲が全くなかったからです。

そんな訳でしたので、改めてスクールに通うことになっても
娘のモチベーションは全く上がりませんでした。

背中を治すためなのだからしょうがない、頑張れ
何度も言い聞かせるのですが、やはり子供です。
そんなことで嫌いな水泳をしないといけないのがイヤだったのでしょう。

とにかく、週2回、1時間半ほど泳ぎに通わせました。
ですが、週2回泳いだからといって、すぐに筋肉がしっかりと付いた体ができるわけではないです。
気休め程度だったように思います。

そして、1年間通い続けましたが、
中学校に入学すると、
病状にも変化があり、もう水泳を続けることに意義がなくなったので、
娘のやる気がない以上続けてもしょうがないということになりました。

女の子ですので、体調により通えない日も出てきて、
もともとモチベーションが低かったこともあり、
スイミングスクールをやめることにしました。

結局、スイミグは1年間だけでした。



側弯症になる子の傾向


治療をしている中で、いろんなお医者さんにいろいろ話を伺いました。
その中で、よく聞いた話で
脊柱側弯症の子供には、運動が嫌いで、細身の女の子が多いそうです。
娘もまさにそのタイプでした。

筋肉を鍛えて骨を支えられるように…
という話もよくお医者さんがされましたので、
娘も小さい時からスイミングをやめることなく続けていたら、
病気になる確率も低かったかもしれない、と考えることもありました。

でも、筋肉がしっかりと付いているからといって、
全く側弯症にかからないというわけでもないですが…
筋肉が付いていても側弯症にかかる子もいますから。

どうなっていたかは、わかりませんが。


2013年1月15日火曜日

初登校

出来上がった装具を受け取ったのが、金曜日でした。

学校への説明も無事終わり、
装具を付けての初登校は月曜日でした。

その前、土曜日・日曜日と自宅の方で装具を付けて生活し、
装具に少しは慣れていたとは思うのですが、
やはり装具を付けて学校へ行かせるのは心配でした。

土曜日・日曜日の間も
一日中付けていることは出来ませんでした。

苦しくて、しばらく付けてははずし、またしばらく休憩しては装着し、
ということを繰り返していました。

ですので、一日中学校で付けていることは
たぶん出来ないだろうとは思いましたし、
付けはずしをするにしても、いちいち養護の先生にお世話をお願いしなければならないので、
もし授業中に苦しくなっても、すぐにはずして休憩するというわけにはいきません。
どうするだろうと非常に心配しました。

そして、最初の心配どおり、気温も高くなってきています。

そもそも装具を付けていて、苦しいうえに、
暑さでバテることもあるだろうと…
心配は尽きませんでした。


一日中、心配して過ごし、
帰ってきた娘に様子を尋ねると、
やはり苦しくて何度か付けたりはずしたりしたということでした。

が、本人が自分で体の調子をみながら、調整できているようですので、
あまり心配するほどではないようでした。

娘本人も装具を付けなければいけない自分の状況に納得しており、
自然にその状態を受け入れているようでしたので、
最初の山場は超えたかな…とひと息つきました。

担任の先生もクラスに説明して下さったみたいで、
とりあえず無事に治療生活のスタートを切れたようだと
安心しました。


2013年1月14日月曜日

金銭的なこと

装具の値段


装具の値段ですが、結構します。

装具の製作に約10万円ほどかかりました。

後から保険で7割ほどは返ってくるのですが、
とりあえず、業者の方には一括で支払わなければなりません。

そして負担は3割とはいえ、ばかにならない出費です。

家の準備


それから家の方も、
装具を付けて生活するために
いろいろと揃えなければならない物がありました。

まず、リビングにソファーを置くようにしました。

それまで、わが家はリビングの床に座って生活していたのですが、

娘が装具をつけていると
背中が曲がりませんので、立ったり座ったりがしにくいことと、

床に直接座っていると
脚の付け根が装具で圧迫され痛むので

ソファーを置くことにしました。


それから、ベッドのマットを替えることにしました。

今まで、娘は二段ベッドに薄い布団を敷いて
寝ていたのですが、

寝るときももちろん装具を付けて寝ますので、
あまり薄い布団では体が痛みます。

それで、厚めのマットを敷くようにしてやりました。


そして、肌着をたくさん購入しました。

装具を直接肌につけると汗を吸いませんので、
ランニングのシャツをたくさん購入し、
まめに取り替えさせることにしました。



このように、やはり家族の誰かが病気になると、
いろいろとお金がかかってしまうものです。

一つ一つはたいしたコトはないのかもしれませんが、
(ソファーはだいぶんたいしたコトでしたが)
一度に揃えるコトになりますので、
たいへんでした。



2013年1月13日日曜日

学校への説明

装具を付けた日、
病院からの帰りに学校へ寄りました。

とりあえず、担任の先生へいままでの受診の結果と病状の説明、
それと、装具を毎日付けて学校へ行かなければならないので、
養護の先生に装着のお手伝いをお願いしなければいけなかったのです。

毎日、装具を付けて学校へ通うことで
一番の問題は、体育の授業でした。

とりあえず、
体育の時間だけは装具をはずし、
授業は変わらずに受けるつもりだったのですが、
娘が体操服に着替えるときに
みんなの前で装具を外したりするのは
イヤだと言います。

それで、保健室で授業の前後の着替えをさせてもらえないかということを
養護の先生に相談しました。

そして、体育の授業の後に
保健室で装具を養護の先生に手伝ってもらって装着する、
という段取りで話し合いました。


あと、私が心配したのは

この装具を付け出したのが、
小学校6年生の5月ごろのことだったのですが

これからだんだんと暑くなってくる気候でしたので、

最初、ただでさえ装具の装着に慣れていないうえ、
プラスチックでできた通気性の悪い装具でしたので、
暑さがこたえないかということが心配でした。

それで、最初のうち慣れるまでは
暑さでバテると思うので、
様子を見て
保健室で休ませてやって欲しいと
担任の先生と養護の先生にお願いしました。

担任の先生にはクラスのお友達への説明もお願いしました。

やはり装具を付けるのは服の下だといっても、
外からもシルエットでわかってしまうので
娘が少し気にしていました。

まさか、それでいじめられるようなことはないと思いましたが、
事情がわからないと、からかわれるコトがあるかもしれないので、
クラスのお友達へは
病気のことを話してくださってかまわないので、
事情を説明して下さいとお願いしました。

信頼をしてはいましたが、
担任の先生も養護の先生も
真摯に対応して下さり、
私も娘もほっと一安心しました。






2013年1月12日土曜日

装具を付けた日

初めて装具をつける


最初の受診・診断から1週間経ち、
装具が出来上がったので、
装具を取りに整形外科まで娘と出かけて行きました。

装具は、見本を見てわかってはいたのですが、
やはりたいへん大きいもので、
胴全体を覆うものでした。

改めて
「これをこれからずっと、付けて生活することになるのか…」
と、早くもくじけそうになりました。

それから、装具の製作業者の人から、
装具の装着の仕方を娘と一緒に教えてもらいました。

装具とは、
外から骨を締めつけて矯正するものです。

なので、娘の場合、
きつく曲がっている肋骨の部分の背骨のところを
ベルトで力を入れて締めつけなくてはならず、
だいぶん、苦しそうでした。

娘は文句を言わず、がんばっておりましたが、
親心として、早くもかわいそうでなりませんでした。

でも、これからはがんばって装具を付けるようにしなければ、
手術をしなければならないような状態になっては困る…
と、『手術だけは避けたい』という思いで必死でした。

点検


装具を付けた後は、
正しく付けられたか
お医者さんのチェックが入ります。

まずレントゲンを、装具を付けたまま撮り、
骨の湾曲が矯正されているかをチェックします。

正しく付けられているとの確認が取れたら、
いろいろ生活する上での注意を受けました。

とりあえず、背骨が曲がっているからといって、
痛みがあるわけではないので、
なにか生活の上での制限があるものではありませんでした。

が、とにかく、
「なるべく運動をして筋力をつけて」
ということを、繰り返しおっしゃいました。

体操指導


次に、リハビリの先生が医院におられたので、
そのリハビリの先生の方から
少しでも筋肉を付けるための体操を習いました。

「これをこれから、毎日夜寝る前にやってください。」
ということでした。

体操自体は、そんなにハードなものでもありませんし、
そんなに時間がかかるものでもないのですが、
『毎日』というのは心に重くのしかかります。



とにかく、こんな調子で装具を初めて付けた日は終わりました。

医院からの帰り、
娘と二人でぐったりと疲れて帰りました。

でも、まだその一日は終わりではなく、
帰りに学校の方へ病状の説明と
装具のことでの相談に寄らなければならない予定があったのです。


2013年1月11日金曜日

脊柱側彎症に対する治療方針


医院の方で治療方針の指針を教えていただきました。

側わん症は背骨が曲がってしまう病気ですので、
背骨の曲がる角度によって治療方針が変わります。


  • 0〜9°  正常範囲
  • 10〜14°  姿勢異常……姿勢に対する日常生活指導
 15°以上  側彎症
  • 15°〜19° A.要経過観察…4〜6ヶ月ごとの定期検診必要/日常生活指導・姿勢矯正体操・水泳など
  • 20°以上  B.要治療………3〜4ヶ月ごとの定期検診必要/日常生活指導・姿勢矯正体操・水泳
  • 25°以上  C.要治療………装具の使用を考慮(装具が効果的なのは25°〜40°)
  • 50°以上  D.要治療………手術的治療を考慮


娘の場合は、50°ギリギリのラインで、装具治療にもあまり期待できない角度でした。

でも、とにかく少しでもよくなることを祈って、装具の治療を開始しました。

数値でみると、あまり楽観視できない病状だったのですが、
まさかそんなに悪いわけはない”という思いは大きかったです。

人はなかなか我が身に起こったことを
冷静に把握できないものだと、今になって思います。


診断当時


『脊椎側わん症』診断当時の状態


診断がついた時、娘の病状はもうかなり進行していたみたいで、
装具で矯正できるギリギリのラインでした。

また、湾曲している部分も首の付け根から胸の中ほどのあたりがもっとも曲がっており、肋骨がある部分なので、装具を付けても矯正できるかわからないと言われました。

そして、装具が体全体を覆うもので、キツく締めつけるものですので、
子供だと、キチンとつけ続けることが難しく、
なかなか装具での治療はうまくいかないことが多いのだとお医者さまが説明されました。

また、側わん症は、筋力が低い子の方がなりやすく、悪化しやすいので、
なるべく筋肉をつけて、骨を筋肉でもささえられるようにしなければいけないと言われました。

それで、筋肉をつけるために水泳などの運動も必要だということでした。

治療方針としては…

・装具をキチンと使用する。
・運動をして筋肉をつける。

になりました。

とにかく、これ以上進行すると、手術しか治療の手段はないということなので、
なんとか、手術をしないでも済むように…と、
必死の努力を始めなければならなくなりました。

ですが私たちはまだ
『まさか手術までにはならないだろう』
『装具をキチンとつけ、運動をするようにさえすれば、よくなっていくだろう』
と楽観視していたのです。


治療開始


病気のことをなにも意識せずに、行った整形外科で
脊柱側わん症』と診断され、すぐ治療を開始することになりました。

治療としては、装具をつけて背骨の矯正をするということでした。

装具といわれてもピンときませんでしたが、
すぐに装具を製作している業者の方(医院に出向されていました)に
採寸をしていただき、装具を製作することになりました。

採寸で体のサイズを計り、石膏で胴体の部分の型をとりました。

そして、装具の見本を見せていただきましたが、
プラスチック製で固く、胴全体を覆うものでした。

初めて見たので、たいへん驚きました。

「これからは毎日、お風呂に入る時以外は付けていなくてはならない。」
と言われて、もう、親子でうろたえるばかりでした。

装具の完成には1週間かかるということで、
「また1週間後に来てください。」
と言われ医院を後にしましたが、
家を出る前と帰る時との意識の差が激しすぎて

どうしていいのか…
これからどうなるのか…

と、不安ばかりで家に帰りました。


2013年1月10日木曜日

診断

診断

整形外科に行くと、
まだまだ事態の深刻さを親子ともども理解していませんので、
捻挫のことをメインに受診しました。

捻挫は軽いものでした。

そして、“ついでに”という感じで
「先生、学校でこんな用紙をもらったんですが…」
と、学校でもらった用紙を見せました。

とたん、なにやら先生の顔が少し引き締まるのが
感じられました。

「あれ、たいしたことないと思ったのに…」
と、少し不安になったことを覚えています。

それから、背中の診察が始まり、レントゲンを影ることになりました。

このくらいから、「側弯症ってちゃんとした病気らしい…」
などと、思い出したのです。

そして、「『脊柱側湾症』で間違いないですね。」
との診断。

そして、『脊柱側湾症』の説明を受けました。

それで、いよいよ大変な病気なんだということを思い知り、
親子で「どうしよう…」とうろたえてしまいました。

診断前

発症

発症についてですが、
正確にはいつ発症したのかは不明です。

小学校5年生くらいから、
「この子、少し姿勢が悪いのか、背中が歪んできてる…」

と、一緒にお風呂に入ったときなどに、感じていました。

でも、「脊柱側弯症」という病気など知らなかったので、
ただ、姿勢が悪いだけだろうと思い、それほど気にしてはいませんでした。

指摘

指摘されたのは、小学校6年生の時です。

その頃には背中の歪みがだいぶ酷くなっており、心配はしていました。

ですがまだ、私の認識は「姿勢がひどく悪い」というものでした。

そんな時、新学期の健康診断で娘が
『側弯症の疑いがあるので、専門医を受診してください』というプリントを持って帰ってきました。

この時点でもまだ私は
「側弯症? 姿勢が悪いことを専門的にはそう言うのかな…?」
などと呑気なことを考えており、専門医に診せるということもそれほど緊急のものではないと判断してしまいました。

ですが、幸いにも…というか、娘がたまたま学校で捻挫をして帰って来ましたので、
「それなら、ついでに背中も見てもらえばいいね」
と、近所の整形外科を受診することにしたのでした。

はじめに


脊柱側弯症(脊椎側湾症)という病気をご存知でしょうか?

正常な状態ならばまっすぐに伸びているはずの脊椎(背骨)が、側方(横方向)に曲がってしまう病気です。

原因が不明の「特発性側弯症」「先天性側弯症」があります。

「特発性側弯症」

・乳幼児側湾症
・学童期側湾症
・思春期側湾症

に細分されます。

日本では「思春期側湾症」が最も多いそうです。
そして、「思春期側湾症」は女の子に多く発症します。

私の娘はその「思春期側弯症」になりました。

診断されてから、もうすぐ5年になります。

手術を含めたいろいろな治療の結果、今のところ症状も落ち着いています。

それで、区切りの意味で、診断から現在までの症状の様子を綴っていきたいと思います。